ポンコツ香港雑記

2016年9月から香港中文大学に交換留学している大学生の日記

暮らし方とこだわり・女子力について考察

様々な韓国の留学生を見たが、メイクや服装へのこだわりとセンスの良し悪し、洗練のされ方は別問題だと感じる。

彼らの「良い見た目になりたい」願望は他者の視線あってのものだ。友達との関係やその延長であるSNS上の自己表現のため、特定の理想像に自分を近づける。素敵な暮らしをして自分の心をときめかせるためというよりは、その憧れに憧れている状態に見える。

そのことが顕著に表れるのが彼らの自室だ。何人かの韓国留学生の自室を見たが、彼らの表にでないところはあまりこだわりがないようだ。今のルームメイトはクラブで踊るのが好き、バレエを習い始めた、などかっこいいキラキライケイケ(?)系を目指す子なのだが、ベッドカバーはむきだしの茶色いキルティング、シーツもIKEAに行ったにも関わらず紺の縞々。寝巻きは謎の熊柄。他の韓国留学生の部屋も行ってみたが似たような感じだった。正直ダサいというか、あれだけ服などには気を使って憧れの像があるのに、そんな生活でいいのか!という感じ。自分好みの気分があがるアイテムで素敵な生活をしようというわけではないようだ。

以前のオランダ人ルームメイトもキラキラ系女子だったが、机のボードに地図や自分の好きなピンク色に統一感をもたせたポストカードを貼ったり、寝具は小花柄だったり、隅々まで自分のこだわりを通していた。

自分の好きを知ってこだわりを通すということは、意外と難しいことなのかもしれない。どのような雰囲気にしたいかイメージを掴み、それに合うものを入手するという一連の行為には手間がかかる。

さて日本人はというと、様々なアイテムがあり情報も入る環境なので自分の好きの方向性を知っている人は多く、実現性も高い。自分も日本人だから贔屓目かもしれないが、憧れとリアルの距離はかなり近く感じる。

(韓国ドラマの一般家庭設定の家と実際の一般家庭なんて、全く別物だし!)

ただ、ここに「女子力」という壁が立ちはだかっているような気がする。こだわりのある、憧れの生活をしたいとして、全てが完璧でなければ全くないのと同じという考え方だ。何か身の回りのことにこだわっていると「女子力がある」と総括され、それが例え趣味としての服、ネイル、料理などほんの一分野だったとしても、他のことまで生活全て「女子力」が行き渡っているべきだという風潮があるように思う。

手先が器用だからという理由でセルフネイルをしていても、「女子力を向上させる目的」に集約され、それ自体が好きでやっているという理由がすりかえられてしまう。そして女子力があるなら、料理できないと、綺麗な服を着ないと、かわいい雑貨を持っていないと変だ、と自らを束縛してしまう。

このように自分のこだわりを自分の思うように通す過程で壁がありプレッシャーになっているのではないか。